85年間、明大生の胃袋を見てきた「師弟食堂」がひっそりと閉店
何より印象に残ったのが、大沢さんが家族から聞いてきた「食料もなく、学生さんをお腹いっぱいにしてあげられないのがかわいそうだった」という話です。
それから85年。日本は豊かになりましたが、学生の「少しでも安く、たくさん食べたい」という気持ちは、案外変わらなかったようです。
大沢さんによると、昔は50円のアイスクリームを必ず2個買って、一人で食べる学生がいたそうです。また、なぜか「チェリオ」ばかり売れる。不思議に思っていたら、理由は単純で、他のジュースよりサイズが大きかったから。昭和の明大生のエネルギーを感じるエピソードです。
師弟食堂では、研究室や部活動のパーティ会場としても利用されます。OB・OGの集まりでは、「昔はアジフライが30円だった」「うどんが20円だった」と懐かしむ声もあるそうです。さらに面白いのが、世代によって思い出のメニューが違うことです。年配のOBは「アジフライ」。少し世代が下がると「チーズメンチ」。それぞれの年代に、それぞれの師弟食堂の味があります。
私自身も、その長い歴史のほんの一部ですが、師弟食堂といくつか面白い取り組みをさせてもらいました。2012年には食品メーカーの調味料を実際に使用したオリジナル丼メニューを提供。2014年には食品メーカーの商品に使用されている「大豆」をテーマに、学生からメニューアイデアを募集し、選ばれたメニューを師弟食堂で実際に提供しました。2017年には建設会社のプロモーションとして、ご飯を高層ビルに見立てたオリジナルカレーを提供しました。
これらは企業名や商品名を伝えるだけではなく、企業の商品や事業そのものを「食」に置き換え、大学生に体験してもらう試みでした。
企業が一方的に広告を出すのではなく、学生が食べたり、考えたりするところまで企業と大学をつなげられる。私にとっても、大学内広告の面白さを感じた企画でした。
師弟食堂もまた、ただ昔ながらのメニューを守ってきただけではありません。コロナ前には、増加するイスラム圏からの留学生に対応するため、ハラールメニューにも挑戦しました。ところが準備を進めたところでコロナ禍となり、外国人留学生が来られなくなってしまったそうです。
学生を取り巻く食環境も大きく変わりました。昔は食堂のシャッターを開ければ、学生が一斉に入ってきたそうです。今ほど身近にコンビニや飲食店もなく、学食は昼食をとる場所であると同時に、サークルのたまり場でもありました。いつも同じサークルが同じ辺りの席を陣取り、そこに行けば誰かがいる。学食そのものが学生たちの「居場所」だったのです。
ところが、コンビニやカフェ、ファミリーレストランなど食事の選択肢が増え、さらにコロナ禍を経て、学生の過ごし方そのものも変わりました。
大沢さんによると、昔の学生は昼食を食べ終わっても食堂に残り、友達とだらだら喋っていたそうです。ところが今の学生は、食べ終わるとすぐ授業へ戻っていく。
「真面目なんですよ」
という大沢さんの言葉が印象的でした。
教授と学生の関係も変わりました。昔なら教授が「飲みに行くぞ」と言えば学生がついて行き、そこで授業では聞けない話をした。今では教授が学生を誘うと、「それって強制ですか?」「行かなきゃいけないですか?」と聞かれることもあるそうです。
もちろん、昔の方が良かったと言いたいわけではありません。むしろ大沢さんが「真面目なんですよ」と評するように、今の学生には今の学生なりの大学生活があります。
ただ、ここで改めて「師弟食堂」という名前の由来を思い出しました。
1941年、教員と学生が同じ場所で食事をし、打ち解け、心の結びつきを強くする。「師弟一堂」の場所として、この食堂は名付けられました。
それから85年。
学生が食べるものも、過ごし方も、教授との距離感も変わりました。昼食を食べながらだらだら話す学生は減り、教授に誘われればそのまま飲みに行く、という時代でもなくなりました。大学生のコミュニケーションや居場所が85年かけて変わっていく中で、「師弟一堂」の場として生まれた食堂も、その役割を終えたのかもしれません。
そう考えると、85年続いた師弟食堂が大騒ぎになることもなく、ひっそりと営業を終えたことも、どこか時代を象徴しているように感じます。
師弟食堂の皆さん、85年間お疲れさまでした。